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丸の内で働く産廃マンこと、株式会社船井総合研究所 廃棄物ビジネスコンサルティンググループ グループマネージャーの貴船です。日常のコンサルティングを通して、そこはかとなく記していきます!

2008年6月28日 1:45 AM

ちょっと自己紹介①

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自己紹介します(少し長いので、「もう、お前のことは知っているよ」「興味ない」と思う方
は飛ばしてください)。
 兵庫県出身の1969年生まれの38歳。血液型はB型(最近話題になっていたB型本の
まんまの性格です)。学生時代のサークル(イベントサークルです)仲間の妻(結婚12年
目)との間に二人の娘(小学校5年生の双子)と犬(♀ ブラックタンのミニチュアダックス
2.5歳)がいます。
現在は神奈川県の海のある街に住んでいます。
 趣味は、下手糞でいつまで経っても上手くなれないサーフィンと阪神タイガースです。
私キフネの人間がどうやって形成されてきたかご参考までに・・・。
 自動車メーカーのエンジニアをしていたバリバリ理系型の父と陽気で社交的な母の元
で生まれ、呑気に育ってきました。両親ともに大分県出身で、先祖まで上ると京都にな
っていきます。隆宣(タカノブ)という名前の由来は・・・ゴロが良かったとのこと(驚!)。
珍しい名前が良かったとのことで、上も下も珍しい名前となり、お陰様で悪いことは本当
にできなくなってしまいました。
 父も母も「躾」と「物事の筋」に厳しく、そんな教育を受けてきました。何かを強制される
ことは無かったのですが、そんな筋(スジ)に違うことだけは怒られたものでした。
 父は休日も家で仕事をしている時も多く、休日に働きに出る姿を見て「何故、休みに仕
事に行くん?」と子供心ながら聞いた憶えがあります。父は子供である私に「休日でも仕
事はあるねんで」と言ってくれました。「?・・・」自分ではよく理解できていなかったので
すが、今の労働感はそんな父の影響もあるのかもしれません。
 
 父の影響で小学校から始めたテニスに嵌り(ピアノや体操、等々他の習い事は続きま
せんでした・・・)、中学、高校とテニス部に入りました。少しは腕に自信も持っていたの
ですが、たちまち打ち消されたものです。上には上がいる。個人戦でもあるテニスでは、
部活内でも先輩には遠く及ばずまた試合に出ても、渾身のショットが難なく打ち返された
りで、そんな経験が練習にのめり込ませもしました。
 高校は大阪の私立の男子校に進みました。ボチボチの進学校に進んでしまい、1年生
の実力テストで学年560人中550番代を取ってしまったこともあります(後で欠席者もいた
ことを聞いて愕然としました)。
 多分劣等生であった私は当然部活に精を出したものです。男子校の体育会は当然厳
しく不条理もまかり通る世界で、1年生はコートにも立てないものでした。テニス部は別
名「筋トレ部」と化しており、走ることと筋肉トレーニングと玉拾いが部活動でした。当然
退部者も増えていくのですが、少ないコートを使う為の部活伝統の「生き残りトレーニン
グ」と知り、負けん気に火がついたと思います。お陰様でテニスよりも走ることには、相
当の自信がつきました(当時は同期で打倒陸上部に燃えていました)。しかし体力はあ
っても、テニスの腕前が上がるわけではなく、インターハイなどは雲の上のものでした。
しかし、来る日も来る日もコートの中を真っ黒に日焼けした肌と長い髪を束ねた異様な
姿で(諸事情で2回丸坊主になってしまいました)、走り回っていました。
何故こんなに一生懸命になれたかは今でも謎ですが、とにかく熱中できるものが欲しか
ったのかもしれません。
 高校では体育会同士で仲が良く、私も他の部室に入り浸っており、遊びもそんな連中
とばかりになりました。これまでの生活圏から大きく広がり、見聞を拡げることもできたと
思います。部活帰りに梅田に寄ってぶらつき食事をして帰る。また、レストランでのアル
バイトも始め、部活、バイト、遊びを繰り返していたものでした。高校の友人との遊び、地
元の仲間との遊び、バイトの先輩達との遊び、勉強をした記憶が殆ど少ないのですが、
勉強は本当に嫌いだったと思います。
 卒業後当然浪人となるのですが、大学に行く意味も見出せないまま、浪人生活を続け
ていたのですが、当然遊ぶことが大好きで予備校をサボっては遊びに出かけていたもの
です。大学に行くことも断念しようと思ったのですが、両親から「人生は長いんやから、大
学行ってからまた考えたら?」と言われ、幾つか滑り込むことができた大学の中で東京
を選んでしまいました。
 関東に行くことなどは想像もしたことがなかったのですが、「学部が面白そう」「ただな
んとなく・・・」で選んだ道でした。
 関西で土着する以外に選択肢は考えていなかったので、では4年間位東京という未
開の地で遊んでみるのも良いかといった程度です。
 でもこれが運命だったのかもしれません。私の人生で必要必然でした。
(次回に続く・・・)
 
 

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