丸の内で働く産廃マンのブログ|産廃WEB|船井総研

丸の内で働く産廃マンこと、株式会社船井総合研究所 廃棄物ビジネスコンサルティンググループ グループマネージャーの貴船です。日常のコンサルティングを通して、そこはかとなく記していきます!

2008年11月13日 3:27 PM

中部のご支援先

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今日は中部地域のプロジェクトキックオフ。鉄スクラップ業の新規事業検討となるテーマです。この業界もいよいよ変わりだしてますよね。未曾有(麻生さん的にはミゾウユ)の価格上昇から下落までの幅を経験して、キャッシュフローは厳しさを増しております。6年前の年商が5倍の規模となり見栄えは良くなっていても、買取価格も同時上昇故にリスクばかりが目立っておりました。しかし多くの同業者が、ヤード拡張、新展開、設備更新を手掛けた為に、現在悲鳴を上げております。実は今こそ本当に変わるタイミングなのでしょうね。間違いなく言えることは、この数ヶ月の取組みが将来を決める可能性があることでは無いでしょうか。頑張ろうとする、鉄スクラップ業応援します。

2008年11月12日 3:26 PM

東北のご支援先

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今日は東北地域のプロジェクトキックオフ。廃棄物処理業の事業戦略構築となるテーマです。個人的にはこのキックオフの瞬間が大好きです。スタートの時は、これから絶対に良くなることしかなく、減退することは無いものです。

2008年11月11日 2:41 PM

広島市で講演

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本日は広島市での講演でした。市の工業技術センターが主催となり、「環境ビジネス技術セミナー」と題してのテーマでしたが、50数名の参加者の8割は廃棄物関連の方々となりました。市も当初は様々な業種が参加されることを想定していましたが、偏りに驚きながらも廃棄物業界の勉強熱心さに感心しておりました。私はと言うと、5年前程ならば同テーマのメインターゲットは土木・建築、物流業界などの異業種がメインでしたが、本当に変化していることを再認識させられました。

2008年11月10日 2:38 PM

東北のご支援先

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今日は鉄スクラップ業のご支援先。新たに立上る新規事業の打ち合わせ。現事業の延長上にある、川上を抑える戦略にて準備していますが、何とか2億円/年程の増は見えました。ビジネスモデルは大切ですが、もうひとつ忘れがちなのは実行への落とし込み。幾ら良い絵があっても、自社の実力や地域、そして実行の手順が無ければ進まないものです。計画が見える時は、その落とし込みが見えた時だけですね。

2008年11月8日 2:27 PM

関東とセミナー

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AMにご訪問後に会社に戻り、メンバーの東さんが主催している、一般廃棄物向けセミナーの講師をしてきました。一廃業もこれから面白いですよね。絶対に仕掛のチャンスが来ております。

2008年11月7日 2:26 PM

関東のご支援先

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一廃・汲取り、浄化槽がメインの同社。マーケットは大きくあります。社長の「GO」サインも後押ししています。後は、しっかりPDCAサイクルをまわすことだけです。現在の私はそのサポートですが、絶対に目標数値に届かせてみせます。

2008年11月6日 2:24 PM

九州のご支援先(2)

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宿泊にて、昨日に続き営業同行。天才型営業マンに会いました。これまでも数人に出会ってきましたが、こういった天才型とは持って生まれた才能です。声質や容貌、そしてその人が醸し出す雰囲気は、とても真似できないものです。若手営業マンが皆、真似してはいけないものですが、でも会社の宝ですよね。

2008年11月5日 2:22 PM

九州のご支援先(1)

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産廃の工場系と建設系。組織営業の構築をテーマに、現状分析に入っておりますが、市場調査を終え、今日は営業マン同行。若手営業マンながら頑張っております。顧客との対応は充分に合格ライン。後はテクニック論でしょうか。
私自身が前職8年間営業マンをやっていたこともあり、営業現場は大好きです。これまで廃棄物処理業の営業マンは400人以上同行や指導をしてきましたが、以外と基礎ができていない営業マンが多いことに気付かされます。知識や提案力を磨くことも大事ですが、先ずは外に出して良いかどうかの見極めはもっと大切ですね。

2008年11月1日 2:19 PM

東海のご支援先

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一廃・産廃。トップと経営計画を数ヶ月掛けて作りこんでいるが、激変の今に将来を読むことは、なかなか難易度が高いものです。しかし方向性は確定しつつあり、顧客の「カユイ所に手が届く企業」であることです。これは廃棄物処理業にとって究極ですよね。

2008年10月17日 10:46 AM

自己紹介②

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 随分ご無沙汰にて失礼致します…。
 学生時代はとにかく遊び続けました。イベントサークルに入り、それが学生時代の全てでした。仲間に会う為に学校に通い、徹底的に遊びの毎日。その後サークルは140名ほどの組織にもなり、その代表にもなった為に更に益々遊びに時間を費やしました。その時間は馬鹿みたいなことかもしれませんが、本当に誇れるものです。最高の仲間に出会い、泣いて、笑って、そして夢を語り合いました。それ故、正直勉強をした記憶があまりありません。今になれば、もっと勉強をしておけば良かったと思うこともありますが、遊ぶことでしか学べない見聞も拡がり全く後悔はしておりません。あの時間に学んだことにより、今の自分がある。プラス発想というべきか過去オール善なのか、そんな性格がいつも充実している毎日にさせてくれました。
 遊ぶ資金つくりの為に遊びの合間にアルバイトを入れていたのですが、当然夜間のものが多くバーテンダーをしながら、土木作業、左官工事(これが長かったです。みなとみらいを手掛けていました)、ワイヤー放電加工(夜間の工場にて一人で金型をつくっていました)、など俗に言うガテン系を好んでいました。汗を掻く労働感が大好きでした。この当時は腕に職をつけることに憧れたこともありました。バブル隆盛の当時は建設需要が上がりそこら中で人手が必要となっており、土木作業のバイトをしている時に左官屋にスカウトされ移ることになりました。日給15000円のバイトは当然日払い。汗を掻いて働いて、帰りには現金で報酬を貰い、そのお金で一杯呑んで帰る。腕が上がれば日給も上がり、自分でモノをつくる喜びも感じ、欲しいものを買う為の貯金も直ぐに溜まり、私にとって最高のアルバイトでした。
 高校時代は飲食や流通業でのアルバイトなどしか経験がなかったのですが、大学時代は上記の他に深夜のハム工場や深夜のタンク清掃、郵便局の深夜の仕分け、ポスティング、ビルメン、テレビ局の仕事、イベント業務、雑誌で紹介されるようなレストラン、ちょっとここでは書けない仕事(ごめんなさい!)と様々な仕事を経験しながらも自分の労働感がすこしずつできてきました。今思えば、様々な仕事を体験できることは素晴らしいですよね。
 楽しかった学生時代も4年を迎える直前から、就職活動(シューカツという言葉はなかったです。リクルート活動だったかな?)とする一大イベントが始まりだしました。
(次回に続く・・・)