丸の内で働く産廃マンのブログ|産廃WEB|船井総研

丸の内で働く産廃マンこと、株式会社船井総合研究所 廃棄物ビジネスコンサルティンググループ グループマネージャーの貴船です。日常のコンサルティングを通して、そこはかとなく記していきます!

2008年11月10日 2:38 午後

東北のご支援先

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今日は鉄スクラップ業のご支援先。新たに立上る新規事業の打ち合わせ。現事業の延長上にある、川上を抑える戦略にて準備していますが、何とか2億円/年程の増は見えました。ビジネスモデルは大切ですが、もうひとつ忘れがちなのは実行への落とし込み。幾ら良い絵があっても、自社の実力や地域、そして実行の手順が無ければ進まないものです。計画が見える時は、その落とし込みが見えた時だけですね。

2008年11月8日 2:27 午後

関東とセミナー

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AMにご訪問後に会社に戻り、メンバーの東さんが主催している、一般廃棄物向けセミナーの講師をしてきました。一廃業もこれから面白いですよね。絶対に仕掛のチャンスが来ております。

2008年11月7日 2:26 午後

関東のご支援先

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一廃・汲取り、浄化槽がメインの同社。マーケットは大きくあります。社長の「GO」サインも後押ししています。後は、しっかりPDCAサイクルをまわすことだけです。現在の私はそのサポートですが、絶対に目標数値に届かせてみせます。

2008年11月6日 2:24 午後

九州のご支援先(2)

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宿泊にて、昨日に続き営業同行。天才型営業マンに会いました。これまでも数人に出会ってきましたが、こういった天才型とは持って生まれた才能です。声質や容貌、そしてその人が醸し出す雰囲気は、とても真似できないものです。若手営業マンが皆、真似してはいけないものですが、でも会社の宝ですよね。

2008年11月5日 2:22 午後

九州のご支援先(1)

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産廃の工場系と建設系。組織営業の構築をテーマに、現状分析に入っておりますが、市場調査を終え、今日は営業マン同行。若手営業マンながら頑張っております。顧客との対応は充分に合格ライン。後はテクニック論でしょうか。
私自身が前職8年間営業マンをやっていたこともあり、営業現場は大好きです。これまで廃棄物処理業の営業マンは400人以上同行や指導をしてきましたが、以外と基礎ができていない営業マンが多いことに気付かされます。知識や提案力を磨くことも大事ですが、先ずは外に出して良いかどうかの見極めはもっと大切ですね。

2008年11月1日 2:19 午後

東海のご支援先

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一廃・産廃。トップと経営計画を数ヶ月掛けて作りこんでいるが、激変の今に将来を読むことは、なかなか難易度が高いものです。しかし方向性は確定しつつあり、顧客の「カユイ所に手が届く企業」であることです。これは廃棄物処理業にとって究極ですよね。

2008年10月17日 10:46 午前

自己紹介②

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 随分ご無沙汰にて失礼致します…。
 学生時代はとにかく遊び続けました。イベントサークルに入り、それが学生時代の全てでした。仲間に会う為に学校に通い、徹底的に遊びの毎日。その後サークルは140名ほどの組織にもなり、その代表にもなった為に更に益々遊びに時間を費やしました。その時間は馬鹿みたいなことかもしれませんが、本当に誇れるものです。最高の仲間に出会い、泣いて、笑って、そして夢を語り合いました。それ故、正直勉強をした記憶があまりありません。今になれば、もっと勉強をしておけば良かったと思うこともありますが、遊ぶことでしか学べない見聞も拡がり全く後悔はしておりません。あの時間に学んだことにより、今の自分がある。プラス発想というべきか過去オール善なのか、そんな性格がいつも充実している毎日にさせてくれました。
 遊ぶ資金つくりの為に遊びの合間にアルバイトを入れていたのですが、当然夜間のものが多くバーテンダーをしながら、土木作業、左官工事(これが長かったです。みなとみらいを手掛けていました)、ワイヤー放電加工(夜間の工場にて一人で金型をつくっていました)、など俗に言うガテン系を好んでいました。汗を掻く労働感が大好きでした。この当時は腕に職をつけることに憧れたこともありました。バブル隆盛の当時は建設需要が上がりそこら中で人手が必要となっており、土木作業のバイトをしている時に左官屋にスカウトされ移ることになりました。日給15000円のバイトは当然日払い。汗を掻いて働いて、帰りには現金で報酬を貰い、そのお金で一杯呑んで帰る。腕が上がれば日給も上がり、自分でモノをつくる喜びも感じ、欲しいものを買う為の貯金も直ぐに溜まり、私にとって最高のアルバイトでした。
 高校時代は飲食や流通業でのアルバイトなどしか経験がなかったのですが、大学時代は上記の他に深夜のハム工場や深夜のタンク清掃、郵便局の深夜の仕分け、ポスティング、ビルメン、テレビ局の仕事、イベント業務、雑誌で紹介されるようなレストラン、ちょっとここでは書けない仕事(ごめんなさい!)と様々な仕事を経験しながらも自分の労働感がすこしずつできてきました。今思えば、様々な仕事を体験できることは素晴らしいですよね。
 楽しかった学生時代も4年を迎える直前から、就職活動(シューカツという言葉はなかったです。リクルート活動だったかな?)とする一大イベントが始まりだしました。
(次回に続く・・・)

2008年6月28日 1:45 午前

ちょっと自己紹介①

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自己紹介します(少し長いので、「もう、お前のことは知っているよ」「興味ない」と思う方
は飛ばしてください)。
 兵庫県出身の1969年生まれの38歳。血液型はB型(最近話題になっていたB型本の
まんまの性格です)。学生時代のサークル(イベントサークルです)仲間の妻(結婚12年
目)との間に二人の娘(小学校5年生の双子)と犬(♀ ブラックタンのミニチュアダックス
2.5歳)がいます。
現在は神奈川県の海のある街に住んでいます。
 趣味は、下手糞でいつまで経っても上手くなれないサーフィンと阪神タイガースです。
私キフネの人間がどうやって形成されてきたかご参考までに・・・。
 自動車メーカーのエンジニアをしていたバリバリ理系型の父と陽気で社交的な母の元
で生まれ、呑気に育ってきました。両親ともに大分県出身で、先祖まで上ると京都にな
っていきます。隆宣(タカノブ)という名前の由来は・・・ゴロが良かったとのこと(驚!)。
珍しい名前が良かったとのことで、上も下も珍しい名前となり、お陰様で悪いことは本当
にできなくなってしまいました。
 父も母も「躾」と「物事の筋」に厳しく、そんな教育を受けてきました。何かを強制される
ことは無かったのですが、そんな筋(スジ)に違うことだけは怒られたものでした。
 父は休日も家で仕事をしている時も多く、休日に働きに出る姿を見て「何故、休みに仕
事に行くん?」と子供心ながら聞いた憶えがあります。父は子供である私に「休日でも仕
事はあるねんで」と言ってくれました。「?・・・」自分ではよく理解できていなかったので
すが、今の労働感はそんな父の影響もあるのかもしれません。
 
 父の影響で小学校から始めたテニスに嵌り(ピアノや体操、等々他の習い事は続きま
せんでした・・・)、中学、高校とテニス部に入りました。少しは腕に自信も持っていたの
ですが、たちまち打ち消されたものです。上には上がいる。個人戦でもあるテニスでは、
部活内でも先輩には遠く及ばずまた試合に出ても、渾身のショットが難なく打ち返された
りで、そんな経験が練習にのめり込ませもしました。
 高校は大阪の私立の男子校に進みました。ボチボチの進学校に進んでしまい、1年生
の実力テストで学年560人中550番代を取ってしまったこともあります(後で欠席者もいた
ことを聞いて愕然としました)。
 多分劣等生であった私は当然部活に精を出したものです。男子校の体育会は当然厳
しく不条理もまかり通る世界で、1年生はコートにも立てないものでした。テニス部は別
名「筋トレ部」と化しており、走ることと筋肉トレーニングと玉拾いが部活動でした。当然
退部者も増えていくのですが、少ないコートを使う為の部活伝統の「生き残りトレーニン
グ」と知り、負けん気に火がついたと思います。お陰様でテニスよりも走ることには、相
当の自信がつきました(当時は同期で打倒陸上部に燃えていました)。しかし体力はあ
っても、テニスの腕前が上がるわけではなく、インターハイなどは雲の上のものでした。
しかし、来る日も来る日もコートの中を真っ黒に日焼けした肌と長い髪を束ねた異様な
姿で(諸事情で2回丸坊主になってしまいました)、走り回っていました。
何故こんなに一生懸命になれたかは今でも謎ですが、とにかく熱中できるものが欲しか
ったのかもしれません。
 高校では体育会同士で仲が良く、私も他の部室に入り浸っており、遊びもそんな連中
とばかりになりました。これまでの生活圏から大きく広がり、見聞を拡げることもできたと
思います。部活帰りに梅田に寄ってぶらつき食事をして帰る。また、レストランでのアル
バイトも始め、部活、バイト、遊びを繰り返していたものでした。高校の友人との遊び、地
元の仲間との遊び、バイトの先輩達との遊び、勉強をした記憶が殆ど少ないのですが、
勉強は本当に嫌いだったと思います。
 卒業後当然浪人となるのですが、大学に行く意味も見出せないまま、浪人生活を続け
ていたのですが、当然遊ぶことが大好きで予備校をサボっては遊びに出かけていたもの
です。大学に行くことも断念しようと思ったのですが、両親から「人生は長いんやから、大
学行ってからまた考えたら?」と言われ、幾つか滑り込むことができた大学の中で東京
を選んでしまいました。
 関東に行くことなどは想像もしたことがなかったのですが、「学部が面白そう」「ただな
んとなく・・・」で選んだ道でした。
 関西で土着する以外に選択肢は考えていなかったので、では4年間位東京という未
開の地で遊んでみるのも良いかといった程度です。
 でもこれが運命だったのかもしれません。私の人生で必要必然でした。
(次回に続く・・・)
 
 

2008年6月25日 7:23 午後

長い準備中でした?プチスタート!

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「長い準備中ですね・・・?」
「楽しみにしてます!」
「これだけ、待たせたからには相当な内容が出てくるのでしょ?」
構想から早くも、数ヶ月・・・。
お会いする皆様から、数々の応援(?)のメッセージを頂き続けました。
心地よいプレッシャーが、更に初めの1歩を脅かし続けましたが・・・
ま、とにかくスタートしないことには何も始まらないということで、いよいよ
満を持して?
丸の内で働く産廃マンのブログ
スタートします!
心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ
ご存知吉田兼好の徒然草の序です。
何故スタートにいきなり徒然草か?
このブログでは、東京都千代田区丸の内にある㈱船井総合研究所で働くコンサルタ
ントである「私」こと貴船(キフネ)が、毎日の廃棄物処理業へのコンサルティングを通
じて、現場で起こっている様々なことを、感じたことを、徒然なるままに書かせて頂こう
と思っております。
ご意見もお待ちしております!
今回の最後に・・・
いつまで経っても始めない私に根気強くブログを進めて頂いたY社長。
ありがとうございました。何とかスタートすることにしました。